todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 3ヶ月ぶりのカラオケ!

今日は、兄と3ヶ月ぶりのカラオケに行きました!1時間だけでしたけど、燃えましたねー。やっぱり僕はカラオケが好きだ!ってことを再確認しました。サッカーと並んで、1番のストレス解消法といっても良いかも知れません。
今日歌ったのは以下の曲です。

結構サウンドが凝ってるものを歌いましたが、JOYSOUNDの再現力があまりにしょぼくてちょっと萎えました。。歌謡曲だったらいいかもしれないけど、サウンド志向の曲にこの程度じゃダメダメですね。DAMは音質がいい、というのがウリだと以前から思っていたのですが、今もそうなのでしょうか?歌いたい曲が結構揃ってたらまたDAMに乗り移ろうかな。
今回歌った曲では、ACIDMANbonobosLOST IN TIMEがまた歌いたいと思いました。bonobosは、あのリズムが最高です。他の曲(3曲以外)は、聴く方がずっといいですね。最近は、「歌って良い歌」より、「聴いて良い歌」へと嗜好がシフトしてきているので、好きな歌が必ずしもカラオケで歌っても良い(歌)とは思わなくなっています。素晴らしい歌い手だと、「この人が歌うからこそ良い!」というものですもんね。
その後、本屋に寄って、SF作家で数多くのSF映画の原作を書いている、フィリップ・K・ディックの本を探しました。最近、映画「クローン」や「マイノリティ・リポート」「ペイチェック」を見てたので、その原作を読もうと思ったのです。しかし、置いてあるにはあるのですが、腹の部分(背表紙の裏側)の紙が汚い。。僕は、新本を買うときにまっさきにチェックするのがここで、残念ながら1冊もここがきれいなのがなかったので、購入見送りです。僕は、この腹の部分の紙のきれい度にはかなりのこだわりがあるので、こういうことは頻繁にあります。せっかく新本を買うんだからここはきれいであって欲しい!って思いますね。本のカバー(ジャケット)に関しては、以前は結構大切にしていたのですが、最近は、この前書いたように(id:todojun:20050615:p1)、不必要なものはいらん!ペイパーバックを推進せよ!という風に姿勢が変わってきたわけですが、腹の紙の部分に関しては、未だにこだわりが捨て切れません。
さて、結局しょうがないのでいつものようにぶらぶらと本屋を1時間ほど巡り、新書の「子どもがニートになったなら」(ISBN:4140881526) と、「考えない人-ケータイ依存で退化した日本人」(ISBN:4121018052)を買いました。 前者は、結構人ごとではない問題なので、後者は、批判的読書の材料として買いました。下記に書くのは、読書感想ではなくて、読書前の現段階で僕が各事柄に対して持っている考えです。
高学歴ニートに関しては、社会全体がきちんと向き合って対策を講じていかないと、これからますますその割合が増加してくのではないかと思っています。そこには、根本的な問題として、大学の価値観と、企業の価値観、そして学生の価値観のずれがあるのではないかと思っています。僕は学生として、一個人の幸せを追求していきたいと思っていて、それが僕の価値観の根本的な部分を形成しているわけですが、多くの大学や企業が純粋にそこに目標を置いているようには思えないのです。大学にしろ、企業にしろ、(個人の幸福の総和としての)社会の幸福を追求する、という大切な役割が見えにくくなっているような気がします。もちろんその中にはちゃんとその点に関してしっかりとした考えを持っている人達がいて、結局玉石混交の状態とは思います。この辺に関しては、もっと社会経験を積んで自分の中にある程度まとまった考えができてきたら、改めてまた詳しく書こうと思います。
携帯に関しては、確かに依存状態になってしまうと、深い思考力や、孤独を生きる力が弱くなってしまうと感じているので、最近はかなり使用頻度が減っています。1日2日メールも電話もしないなんてことはざらです。ただ、積極的には使用しないにしても、基本的にはいつでもどこでも連絡可能性がある、というところは非常に大事だと思っています。今まで不便であった、待ち合わせ時の連絡や、たくさんの人への連絡が容易になったということは、人々の心理にまで作用する非常に画期的なことだと思います。僕は、携帯の恩恵は他の部分にもたくさん感じていて、特に、メモ帳代わり、漢字変換の道具、時計代わりとして重宝しています。携帯だけでなく、パソコンやインターネットなどどんどん高度化していく道具は、ほとんどのものが使い方さえ間違えなければとても有用である、と思っています。これからは、(極端な言い方をすれば)携帯やパソコンを自分の脳の一部として使いこなせるかどうか、が重要になってくる気がします。僕自身のスタンスはこのような感じですが、上に挙げた本は、その前著「ケータイを持ったサル」(ISBN:4121017129) を読む限り、こうした情報機器全般に対して否定的見解を持っていると思われるので、そういう意味で批判的読書の材料になる、と上に書いたのです。主張に一貫性がある(あったような気がする)ので、問題提起としてはかなり読む価値はあると思います。この、主張に一貫性がある、ということは、人生の諸々の場面で大きな意味を持つ、ということを書きたいのですが、話がそれてしまうので、それはまた別の機会に書きます。
そんなわけで、今日も日記に色々詰め込みまくってしまいました。以上です。