todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 学校行かず

今日は5限に駒場で講義があったのですが、レポート課題はわかっているし、出席する必要もないので行きませんでした(というのは半分嘘で、起きたのが遅くて行く気分にならなかっただけ)。この講義、今学期一度も出ていないんですが(笑) 昨年一昨年と、それなりに出席しておきながら、レポート提出時期に忙しくなって結局出さずじまいになってしまったのでした。今年こそは3度目の正直で取りますぞ!
今学期は教職結構取っているのに、全然出席していません。7つ中まともに出席しているのが2つだけ。残り5つは1回足りとも出席していません。出席重視科目や、小テストを課す科目がある可能性があるので、そろそろ出ないとまずいと思い出しています。
今日は、線型代数入門 (基礎数学1)を参考にしつつ、線型代数演習 (基礎数学 (4))で勉強してました。おい、今頃かよ!と思うかも知れませんが、1,2年の頃はかなり不真面目に数学に取り組んでいたので、基礎・基本が穴だらけなのです。。そのせいで学科に進学してからも相当苦労したのですが。
最近、電車の時間がかなり無駄に思うようになってきました。以前は、読書をする絶好の機会だ、ということで読書の時間として有効利用し、それなりに満足できていたのですが、最近は本を読むときには鉛筆やペンとノートを使わないとあまり効果的でない、と感じ始めているので、電車での読書に限界を感じています。当然、電車内の時間をレポート作成に使うことも出来ないし、逆に休憩時間に使うことも出来ないので(インターネットも使えない!)、何か有効なことをするには、家に比べて非常に不自由です。以前から、なんだかんだいって勉強するのは家が1番だとは思っていたのですが、最近その傾向がますます強くなってきています。休憩したいと思えば人目も気にせずだらんとできるし、音楽だって周りを気にせずスピーカーで流すことができますし。気が散る材料が多いところが唯一の欠点ですが、総合的学習という意味では最高の環境だと思います。だから引きこもりがちになるのですが。。
知的宝庫であるインターネットの登場によって、世の中の学習に対する考え方が根本的に変わってくるような気がします。面白くない講義だったら、何も学校に行かなくても、インターネットで関連する事柄を調べた方が、能動的だし効率的だし、よっぽど面白いと思います。以前は、ここでいうインターネットに当たる部分は本だったのですが(読書と講義のどちらがタメになるかの判断)、それが徐々にインターネットにシフトしつつあります(これは、僕自身の実感であって、世の中がどうだかはまだよくわからない)。もちろん、ある程度以上の深い思考などには、インターネットよりも読書や自主勉強の方が向いているので、そちらの重要性も相変わらず高いでしょう。大事なことは、知へのアクセスが容易になったことで、大学の知の権威性が薄れてきている、ということです。自分で学習していく意志と能力、インターネットと本、精神的な余裕や時間さえあれば、かなりの部分が補えるようになってきています。これからの大学の価値は、そういうもので補えない部分に拠るようになっていくのではないでしょうか。直接生身の人間同士が関わることで起こって来る何か、が大事になるのだと思います(なんか言い古されている内容を言っているようで、ちょっとバカみたいに思えてきました、、)。
僕は常に「本物」を求めて生きているので、当然講義にも「本物」を期待しています。「本物」というとちょっとわかりにくいかも知れませんが、簡単に言ってしまうと、僕自身の心を動かすもの、魂を揺るがすようなものです。それは、知的レベルにおいて大きく触発するものであることもあれば、人間存在として魂を揺さぶられるようなものであったりもします。どちらにしろ、心の底から「これは!」と思えるものとの出会いに期待しているわけです。大学に行って講義を聞く1番のモチベーションはここにあるかも知れませんね、最近は。大切なのは、自分が望む生き方にとって有用なものをどれだけ吸収できたかということであって、それ以外は大して重要なことではありません。要するに、自分が(己の価値基準に照らして)そこから得られるものをできるだけ最大化するように生活をしているわけで、これこそまさに大学生らしい生き方ではないかと思っています。そして、もし自分を統制できずに堕落した生活を送ってしまったとしたら、そのツケは、自分が成長できなかったという点において払うことになるものだと思っています。代償はそれだけで十分だと思っています。こういう生き方は、普段は非常に満足度が高いのですが、時折残酷な結果を生み出します。その極致が昨年度から今年度にかけての留年です。
留年にまつわる話は、トピックで何回かに分けて書いていこうと思っているくらい、複雑な事情が絡みます。原因と結果を単純化してしまえば、演習のレポート未提出が多く単位が来ずに留年、ということになるでしょうが、その背後には、僕自身の生き方や価値観、大学へ関わる姿勢というのが、非常に大きなものとして存在しているのです。本質的な(根本的な)原因はそこにあるわけで、事はそう単純ではありません。どちらにしろ、自分自身の生き方と社会との整合性について深く考える1つの大きなきっかけになったことは間違いなさそうです。
長くなったので、また今度にします。