todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 心の傷は簡単には癒えない

これ、よく言われることですが、ホントその通りだと実感します。体の傷の場合、相当大きなものでない限り大体元通りに戻るものですが、精神的に傷ついたらそう簡単には回復しません。下手したら一生その傷を背負って生きていかなければなりません。
ブログの話でいうと、7月中旬にここにつけられた思慮のないコメントに、いまだに苦しめられています。すでに当該コメントは消してしまっているので、事情の知らない人のために簡単に説明すると、知り合いと名乗る匿名の人から、人格を傷つけるような無配慮なコメントをもらったのです。まぁ見るからに人格攻撃と思われるものです。「匿名」による批判の禁止についてネット上で色々言われている中で、「知り合い」による「匿名」での批判がなされるという、非常にキツイことをやられてしまったのです。
何がキツイって、、まぁ説明しなくても想像してもらえばわかると思います。あらゆる身近な人に向けて疑いの目を向けなきゃいけなくなるんです。「まさか彼がこんなことを思ってたのか?」「いやいやそんなことあるまい」という風に。それだけじゃありません。彼一人がリアルの僕と接してそのように感じたのであれば、他にもリアルで接する人で同様に考える人が何人かいるだろう、と考えるのが普通です。そりゃ、へこみますわなぁ。今では全くそんなことはないですが、当時は1,2週間位は人間不信の感覚が続きました。
人間誰だって万能人ではないので、否定的な面は多かれ少なかれ持っているはずです。その(一般的に言われる)否定的な面も受け入れる、つまり人間存在としてのその人をまず一旦受け入れることが議論の前提になければ、単なる中傷合戦に終わってしまう可能性が高いです。一方的で非建設的な批判は、誰にとっても有益にならず、ただ単に一方(もしくはお互い)が傷つくだけになってしまいます。それを身を持って経験しました。
そして、今どのようにその傷が残っているかというと、ちょっと強めの記事を書くと、無配慮なコメントがまたつくのではないかとビクビクするのです。ホントこれは事実で、記事とは関係ないところで人格攻撃されるのではないか、とちょっとオドオドしてしまうのです。4ヶ月ちょっと前のあのコメントの影が脳裏にちらつくのです。そんなもんだから、強めの記事を書く時は結構気を使っている気がしますし、書いた後もあまりすっきりしません。それでも主張すべきところはすべきだと考えているので、時折は強めの文章も書くようにしています。
本当は、楽しいこと、うれしいこと、好きなことだけ書いていた方がいいと思うんですけどね。やっぱり文句だとか愚痴臭いことだとかは、書いていてあまり気分の良いものではないし、読んでいても多少の不快感が伴うものだと思いますから。でも、自分が大いにダメージを受けているときに、それを黙って見過ごすことはやっぱりできません。問題提起だけでもいいから、伝えたいことは伝えていこうと思います。