todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 自分にとって音楽とは−音楽史を振り返る−

「あなたにとって音楽とはなんですか?」と改めて問われると、なかなか簡単に答えられないような気がします。あえて答えるとすれば、「生活に密着したもの、生活の一部」ということになるでしょうか。友達じゃないですが、なくなって(しばらく接しないで)その大切さを改めて認識するようなもので、気づかぬうちに心の支えになっているものだと思います。
音楽に対して本格的に目覚めたのはいつの頃でしょうか。小学校4年くらいから、テレビに出てくるようなミュージシャンの曲は聴くようになっていて、小学6年くらいからはCDも買うようになりました。ですが、まず1番はじめにハマッたのは、中2から中3にかけてだったと思います。
受験期に入り自宅で勉強することが多くなったのですが、なんらかのきっかけで知ったラジオ番組NHK-FMの「ミュージックスクエア」にハマリ、ほぼ毎日聴いていました。はじめのうちは、曲全体を流してくれるので、売れている人たちの曲をゲットできるということで重宝していたのですが、そのうち、そんなに売れていない人たちでも、いい!と思った曲をどんどん録音するようになりました。その頃は、今よりもこだわりが強く、完璧主義な性格だったので、毎週のランキングを欠かさずチェックしたり、ゲストやエンディングテーマをチェックしたりしていました。曲紹介の前には、勉強もそっちのけで、曲名紹介に集中し、録音ボタンに手を当てて構えているのでした(この執念って今考えると信じられないですね)。
この頃特に好きだったのは、有名どころではイエモンスピッツジュディマリミスチルです。イエモンは、「JAM」に衝撃を受けて、「Four Seasons」を買ったのでした。その後、友達にそれまでの全てのアルバムを借りて、その独特な世界にハマったのでした。
スピッツは、アーティスト毎のベスト20というのを番組でやったときに、あまりにいい曲が多くて、それで大好きになりました。そのときにすごく思ったことなんですが、スピッツの曲って、作ったというより、もともとそこにある、みたいなことを感じたんです。表現するのはとても難しいのですが、いま自分なりにそのときの気持ちを解釈すると次のようになりますか。曲が紡ぎだされたというよりは、曲自身がずっと前から凛として存在している、そのくらい一つ一つの曲に魂がある、と感じたのだと思います。人為という言葉を軽々しく使えるようなものではなかったですね。買ったアルバムは、そのときにおすすめされていた、「空の飛び方」と「名前をつけてやる」です。
ジュディマリは、もうそのヴォーカルに尽きます。もちろん切ないメロディー、曲調もありますが、やっぱりあのYUKIのヴォーカルでしょう。セカンドアルバムの「Orange Sunshine」をCDで借りて聴いてハマリ、4th,1st,2ndアルバムを買いました。
ミスチルは、その当時の最新のアルバム「アトミックハート」ではなく、それ以前の3枚のアルバムがとても気に入りました。純粋で淡いラブソングが好きなのはその頃から変わってないですね。
(その当時の)知名度がそこまで高くない人でアルバムを買ったのは、中村一義、ジャングルスマイル、サニーデイサービス、そしてピロウズでした。よく考えたら結構いい人たち聞いてるじゃん(笑)
やばい、自己語りに入ってきてしまいました。ここらへん、語りだすと思い出がぐんぐん甦ってきて饒舌になってしまいます。
というわけで、続いて第2期音楽ハマリを。もうこれはなんといっても「JAPANESE DREAM」しかないですよ。高校1年の11月度(1997年)からいまだに聴き続けているわけですからね。もう7年過ぎました。この番組は青春の淡い記憶とともに残っていて、僕の人格を形作ったものといっても過言ではありません。もう、語りだすと止まらないです。なので、ここではあまり多くは語りませんが、とにかく、JDとの出会いは奇跡としかいいようがないもので、そこで受け取ってきたこと、感じてきたことは、一生忘れることはないと確信できます。
思えば、「感動」というのが自分の人生のキーワードになったことに、この番組はとてつもなく大きな影響を与えています。リスナーがいいと思った曲に投票し、その結果ベスト10が決まり、ベスト10入りミュージシャンとは生電話でリスナーのコメントが読まれて感激され、と、そこからえもいわれぬ感動を感じていたのでした。世の中には素晴らしい歌い手がたくさんいるんだ!ということも、僕の心に勇気を与えてくれました。
JDを知ったのは、JDのムック本の第三弾をふと本屋で手にしたときです。そこには、JDでの常連のインタヴューや、過去のランキングが載っていたのですが、なんと、年間最優秀ミュージシャンが大好きなピロウズだったのです!!もうね、身体中に電撃が走ったようになって、震えが止まりませんでした。魂が震えるようなこの感覚、頭の中は興奮と感動で一杯でした。これと似た衝撃はまぁほぼないでしょうなー、いままで。過去のランキングにも、兄がアルバムを買って僕もかなり好きだったスマイルだとか、中村一義だとか、サニーデイサービスだとか、ジャングルスマイルだとか、はたまたイエモンも、スピッツも、ジュディマリも、ミスチルも昔から高評価を受けていまして、わーすげぇー、となりました。そこで思い出したのが、以前おばあちゃんの家に行ったときに、ラジオを聴いていてなんとJDを聴いたことがあったんです!当時は華原朋美も好きだったので、そういう人たちがまったく出てこないランキングがあまりに不思議で印象的だったので、記憶に残っていたのです。サイコベイビーズの「ボクらは何処へ行くのだろう」と、小沢健二がどうのこうの、と言っていたのを覚えているので、1996年5月度ですね。1年半ぶりの奇跡的な再会でした。
で、1997年11月度のベスト30から聴き始めたのですが、もうレベルが高い高い。もうお腹一杯ですよー!というくらいでした。それからというもの、毎週エントリーリストをファックスから取り出し評価をし、ベスト10は毎月カセットテープに録音していました。民放なのでCMがありますが、それは全部カットしていたのですよ!CMが入りそうになったらじっと待機。そしてCM明けもじっと待機。すごい執念!それほど言葉では言い尽くせないくらい大好きだったのです。その頃はもううれしさ満開で、人生楽しくて楽しくて仕方なかったです。周りに今週のベスト20とかいって宣伝しまくってて、カセットテープを持っていって聴かせたりしていました。やっぱり情熱は伝わるらしく、3月の同窓会では、そのことをすごくよく覚えているという人がいて、ちょっとびっくり、かなりうれしか、でした。
こんなこと書くと変に思う人もいるかもしれませんが、毎週土曜は夢のような日でした。習っていたプールが終わると、仲間たちとワイワイとやって、帰ってきたらJD、ということで、もうこんなに楽しくていいの?と思うくらいに充実していました。充実しすぎて、ときおり怖くなってしまうときもありました。あまりに充実しすぎると、それが終わったときのことを考えると恐怖じゃないですか。実際、このときの経験は、後々のボクの人生に大きな影響を与えたと思っています。
あー、ごめんなさい。勢いに任せて書いていたらものすごい量に。JapaneseDreamに関する思い出話は尽きないので、これからも小出しにしていこうかと思います。
結局、僕にとって音楽は生活に密着したものですが、その関係は、長い年月にかけての、音楽やそれを生み出すミュージシャンとの出会いの中から熟成していったものだと思います。今まで僕が接して気に入って聴いてきた音楽は、僕の中の財産であり宝物です。つらかったときに、この宝物がどれだけ心の支えになったかわかりません。
最後に。去年、久しぶりに生のミュージシャンの演奏を聴いて、心打たれるものがありました。ミュージシャンに対する、今までとは違ったもっとずっと深い尊敬の念を抱きました。心の内からあふれ出る思いを歌に乗せ、愛を込めて歌い上げる素晴らしい歌い手さんに出会いました。音楽好きでいてよかった!ずっと音楽を聴いてきてよかった!と心から思える瞬間でした。