todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 4日目

研究室に行かずに4日目に入りました。今日は駒場で教職の試験があったから行けなかった、というのは言い訳で、ちゃんと朝早く起きていれば行く時間はありました。
昨日は日記書きませんでしたが、とても寒くて(雪も降っていた)外に出る気がしませんでした。こんな日は家でプログラミング〜♪なんて思っていたら、ほとんど進みませんでした。やっぱり学校に行くという習慣づけは大事ですね。
今日は駒場の教職試験の前に書籍部で本を2冊購入。「[増補改訂版]Java言語で学ぶデザインパターン入門 / 結城浩」と、「なぜ、あなたはJavaオブジェクト指向開発ができないか / 小森裕介」です。卒論に直結とまではいかないかもしれませんが、両方ともかなり役に立ちそうです。amazonの書評を見て、両者ともとても高い評価を得ていたので買ってみました。
帰宅後に、結城浩さんのサイト、結城浩 - The Essence of Programmingを覗いてみたのですが、これがとても素晴らしい!うわーすごい人だ、人間的にも尊敬できるなぁ、なんて思いながらいろんな読み物を読ませてもらいました。世の中、いろいろな分野に素晴らしい人たちって、たくさんいるんだな、と実感しました。何をやっているか、ではなくて、どういう生き方をしているか、というところに僕の関心はあるようです。だから、僕のこれからの人生で、心から尊敬できるような素晴らしい生き方をしている方たちと沢山出会うことができれば、これほどの幸せはないんではないか、と思います。もちろん、その中には生涯の伴侶も含まれるような予感(なんだそりゃ)もします。
今日の教職のテストで、「なぜ、わが国の教師像に「人間主義」のイデオロギーが、これほどまでに浸透しているのか」という問いに答えなさい、という問題が出たのですが、これに答えたあと、問題の答えと関係なく言いたかったこととして次のようなことを書きました。

  • 個人的には、教育の中身と人間性というのは切り離して考えることはできないと思うので、どちらの方が重要だなどと考えるようなことではないと考えます。

こうして、今学期の教職は、レポートを除いてすべて終わったわけですが、結構刺激になる点もありましたね。
さっきのテストは6限の「教師論」でしたが、5限の「教育課程」(講義名自信なし)では、今日は「いじめ」が題材でした。
なんと、「しゃべり場」を見て(かなり前のやつ)、その中の2人と対立する意見のどちらを取るか、というアンケートを取りました。2人の意見を簡単に要約すると次のようです。

Aさん
いじめは加害者が一方的に悪い。被害者は被害者。
Bさん
被害者にも原因があるから、接し方を変えたりするなども考慮すべき。自分はいじめの経験を踏み台にした。

アンケートでは、ほぼ半々で、Aさんの方がちょっと多いくらい。僕はAさんに(手を)挙げました。教官はどちらかというと、Bさん側の意見だということでした。予想よりもBさん側の意見を取る人が多くて意外でした。
その後学生の意見を聞いていったのですが、僕はあとちょっとで手を挙げるくらい熱くなっていたのですが、結局挙げずじまいでした。興奮して考えがまとまらないうちに話すのもきついな、と思いましたし。というわけでここに載せます。
僕は、「いじめ」が起こる原因としては、加害者に原因があって、それに被害者側あるなんらかの要因が重なって起こることが多いと感じます。となると、Bさん側の意見じゃん?と思うかもしれませんが、被害者側の要因というのは、ほとんどの場合、性格的に弱い、というところにあると思います。「目には目を、歯には歯」という言葉がありますが、それをよしとしない(つまり、仕返しをしない)人の可能性も高いです。また、孤高の人かもしれません。
こういった性質は、人に迷惑をかけるなどのようなものでない限り、人に咎められるべきことでもないし、いじめの要因になっていたとしても変えるべきではないと思います。こういうその人本来の持っている性質に対して、いじめられたからといってそれを変えることも考慮するということは、その人自身の尊厳も傷つけることになるし、いじめる人をつけ上がらせるだけです。
誰から見ても明らかに、被害者側に問題がある、という場合ではない限り、被害者側の問題に焦点を当てることは、根本的に間違っていると思います。まず考えなければならないのは、多くの場合加害者をいじめに向かわせた心の荒廃(いらつきといった方が近いか)があって、それは多くは家庭内に端を発しているというところでしょう。
だから、いじめでは(被害者に対して)加害者が一方的に悪いというところを出発点にしなければいけないと思います。これが強く言いたかったことです。
よく考えると、小学校の頃は、いじめのオンパレードでした。僕は、どちらかというと、強くていじめる側のグループに属していたのですが、そのグループの中では(軽く)いじめられる方でした。そういうのは、ジャブのように効いてくるもので、だいぶストレスになっていたと思います。かといって、そのグループから出るというのは怖くてできなかったですね。
で、考えると、その時期、僕もクラスで中で精神的に弱い子を(無意識に)いじめていたのでした。何度か泣かせてしまった気がします。中学に入って、新しい人間関係ができ、自分が少しずつ形作られてきたときには、とても申し訳ない気持ちで一杯で、いつか絶対謝ろうと思っていたのですが、いまだそれは実現されぬままです。
いじめは連鎖します。そして、人の心をじわじわと荒廃させていきます。どこかで、その連鎖を断ち切ってあげないといけない、と思います。
中学校、高校、大学、とどんどん自分の心が開けるような環境になっていっているわけですが、いまだに小学校時代の経験というのは深く心に根ざしていて、今の僕に何らかの影響を与えていると思います。
後半、脈略がよくわからなくなりましたが、以上です。