todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 初授業

火曜に授業に出なかったので、今日が今学期初授業になります。教職科目で1限から。教育学部の1限の開始時間が実はわかってないのですが、8時半〜9時のはずなので、9時くらいに着くように行きます。
更新したいことあるんですが、それは帰ってきてからで。
結局教育学部の1限開始時刻も工学部と同じ8時半でした。が、、遅刻していったら実は休講だったという。せっかく徹夜までしたきたのにー、って感じではありましたが、なんだか体調がよかったから機嫌悪くなりませんでした。
その後、偶然にも同期の人何人かに会う。その中の1人は同じ研究室になる予定だった友達だったので、付いていって研究室まで行ってきました。そこで同期3人と軽く雑談。まぁ僕の進路のことがメインだったんですけどね。
院の講義要目など見せてもらって、あー楽しそうだなー、なんてちょっと切なくなったりもしましたが、まぁしょうがないことです。
ところで、僕が留年決定したときに、コース幹事の教授も、教務でも、来年また院を受けることは前提で話をしてきたのにちょっと戸惑いを覚えた気がします。そんなものですかね。
その後3限の教職科目「教育学概論Ⅱ」に出たのですが、つまらなかったです。もう、いろんな不満が出てきました。

  • 抽象的すぎる。
  • 教職科目なんだから、もっと教師のためになるような講義をしてほしい
  • 教育を学問として語る上できれいにしすぎている(単純化しすぎている)

現在は「新教育の地平」に立っているのではないか、と提起し、その詳しい説明をしているのですが、率直な感想を言ってしまうと、本質をずばっと言わずに、小難しく回りくどくアカデミックに語っているだけじゃないかと。そして、実感に訴えるような言葉、言い回しを使えばいいものを、学問的っぽい言葉、きれいな言葉、を選んでいると感じました。
たいそうな言葉を使っているけれど、どうしてもそれが上滑りに聞こえてしまうんですね。教育って、どこまでもその生の受け手や授業などに即したものであって、その複雑さを抽象化したり、モデル化したりする危険性をもろに感じました。僕が好きな語学も、「学問としての語学」はこんなもんなのかなー、ってちょっと思いました。
こんな授業を取って、教師としてなんの役に立つのですかねー。やっぱり東大の教育学部は教育学者要請所なのでしょうか。
といいつつ、中には素晴らしい授業もあるので、これから取る科目でそういったものに巡りあることを期待しています。
そうそう、この授業は教育学の歴史みたいな内容なのですが、講義予定表でそれが書いてあった時点で一気にやる気がなくなりました。僕は歴史が好きじゃないんです。何が楽しいのかわからない。歴史上の人物への思い入れはまずなく、時代劇なんてまったく見ません。僕の目は、現実に今生きている人や世界に向けられています。現在の世の中には本当に魅力的だったり、尊敬する人がたくさんいて、僕の興味はそっちにあります。同時代の方が価値観を共有する部分が大きい、というのもあると思います。歴史のどこが好きじゃないか、に関しては別項でも語るかもしれません。
日記にいろいろ詰め込んでしまいましたが、今日はこんなところで。