todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 環境構築の難しさ&大切さ

最近思うのが、「環境」ってものすごく大事だな、ということ。自分は自分の意志で!なんて言っても、やっぱり環境によって影響を受けている部分は大きい。そこの環境にいるときにはなかなか気づきにくいものですが。
たとえば、僕は東大に入って、かなり東大生化された、と感じます。1番大きいのは、周りがみんな東大生だということ。いままでの環境では信じられないようなすごい人たちがたくさんいて、たくさんの刺激を受ける。それが自然な日常となるわけです。そんな状態が数年続いていけば、そりゃー東大生っぽくなるに決まっています。東大生っぽい、というのはちょっと語弊がありかもしれません。科類によって「ぽさ」もずいぶん違うと思いますしね。理一っぽいと言えば、なんとなくイメージが湧くでしょうか。
この、「『っぽく』なること=似たもの同士の環境」は、決して悪いことではないと思います。むしろ、喜ばしいことでしょう。ある程度価値観の似たもの同士で、高めあっていく環境ができている、ということですから。ミュージシャンであれば、他のミュージシャンと関わる機会が多くなるだろうし、そこからたくさん刺激を受け、吸収していくことができる。プロスポーツ選手も、同じ志を持つもの同士で切磋琢磨できる。研究者についても同様です。
じゃあここでは何が言いたいのか、って話ですが、その「環境」に不適応だった場合の話です。要するに、中にいる人の価値観なり考え方が自分と異なる場合などです。ここから先は体験談を書きます。
僕はサッカーが好きです。見るのも好きですが、やる方が好きです。小さい頃、中学校、高校、大学、とずっとサッカーをやってきました。で、実感したこと。僕は本当にサッカーというスポーツが好きなのですが、なぜかその組織(部活、サークルなど)のメンバーとは、合わない部分が多いのです。体育会系の人が多いのに対して、僕はマイペースでのんびり、だし、なんだか根本的なところで、違うなー、と思うことも多かったです。
大学では、バンドサークルにも一時期所属しましたが、音楽好きというところは共通しているのに、やっぱり合わない。うまく説明できないけれど、なんだか違いました。
なんだかうまくまとまらなくなってきたので、整理してまた後で追記します。