todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 結城浩さんから学ぶこと

以前、結城浩さんの話を少ししたことがあると思います。結城さんは、プログラマで物書きでもあり、また熱心なクリスチャンでもあります。結城さんの著作やサイトの文章からは、他の人からは感じられないような「何か」を感じることができます。その「何か」というのは表現しづらいのですが、一言で言ってしまえば「愛」でしょうか。結城さんの文章には温かな愛があふれています。そこには、根底に流れている人生観のようなものが表れていると感じずにはいられません。
僕は結城さんを尊敬しています。まだ著作を1冊読んだだけだし、サイトを初めて訪ねてから2ヶ月くらいしか経っていませんが、「素敵だなー、こういう人になりたいなー」なんて思っています。本当に魅力的な人です。
結城さんらしい文章を1つ選んで見ました(→本当に理解するまで学ぶということ)。こんな方です。
クリスチャンと聞けば、論理を用いる学問と信仰は相容れない、とイメージするかもしれませんが、結城さんはとことん論理を追求していくタイプの方です。それでいて熱心なクリスチャンなわけですから、不思議に思われる人も多いでしょう。
僕の解釈はこうです。「信仰とは論理を用いるものではない、信仰は心の支えである」。人々に幸福と平安をもたらしてくれるものが信仰だとすれば、信仰に論理を用いるのは意味がない、ということです。
現代の人々には、何でも信じてしまう人もいれば、やたらと懐疑する人も多い気がしますが、「幸せの追求」を考えるのであれば、どこまでが疑うべきことなのか、どこからは疑わずに受け入れるべきなのか(受け入れた方が幸せになれる)、という判断をしっかりつけることが大事なのかもしれません。
結城さんからは、これからもいろいろと学ぶことがあると思います。
蛇足ですが、僕にとって、尊敬とは、「生き方、人生観」の尊敬に他ならない気がしました。