todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 ブログで表現できるのはごくわずか

僕は、それなりの間、ウェブ日記だったりブログだったりをつけているので、読者の方々はその中で僕に関するイメージをいくらかは作っているものと思います。もちろんリアルでの友達なんかは、そっちの方の印象がメインで、こちら(ウェブ上)では、そのリアルでの印象にちょっとした変化を加えるくらいに留まっているかもしれません。
僕は、ここでは自分の内面をできる限り表現しようと心がけています。事実だけでなく、それに対する自分の意見や感想を書こうと思っているし、そのためにかなり労力も使っています。ですが、それでもなお、自分自身を全くといってよいほど伝えられていないような気もしています。考え方、意見などは、結構伝えられている気はします。もちろんまだまだ不十分ですが、継続によって補えるようになるという予感はあります。
ですが、パーソナリティーに関しては、ほとんど伝えられていないのでないかと思います。例えば、リアルで話したときにウェブ上とのギャップを感じるか、という話です。ギャップが大きければ大きいほど、ウェブ上ではパーソナリティーがほとんど伝わっていないことになりますが、恐らく多くの方は、リアルで会ったら印象が違うと感じるのではないかと思っています(結構勝手な推測ですが)。
これは、僕の努力不足というより、文章という形態の宿命だと考えています。人間性との関係性が比較的薄い、意見や考察などはともかくとして、直接人間性と関わる、感情や感想なんかは、文章ではどうしてもうまく表現できません。これは、語彙が足りないと言うのではなく、いくら語彙があっても足りない、といった類のものだと思います。もちろん、感情を表す語彙が多ければ多いほど、感情は豊かになりやすいだろうし、その表現にも幅は広がるでしょう。ですが、その感情が有限個の言葉でうまく表せるとはとても思えません。いくらたくさんの言葉を尽くしたとしても、実際に会って話しているときの表情などからアナログ的に(感覚的に)読み取るのには全くかないません。百聞は一見に如かず、というやつですね。
ですから、本当ならば、こうして毎日ウェブ日記をつけるよりも、たくさんの人に日々出会い、話し、刺激を受ける方が、人とのつながりという点ではずっと重要なわけです。単純に情報量という点でも、会うほうが圧倒的に多いはずです。それではなんでウェブ日記なんてつけるの?ということになりますが、リアルでは、いろいろと発信しようとしても、社会的な枠組みの中でどうしても世界が狭くなってしまいがちだけど、ここならば社会的な立場など関係なく、価値観を共有する人たちが自由に交流できると考えているからです。そして、距離の壁を越えることもできる。
実際ここでは、世の中で自分の価値観に共感してくれる人(を中心)に、自分の考えなどを発信して、今後リアルで彼らと会う可能性を想定している部分もあるのです。僕の中では、ウェブ上もリアルも一つながりなのです(もちろん、ネットの危険性は十分承知していなければいけないですが)。
そういうわけで、たとえ表現が未熟であろうが、できる限り自分の思いをこのブログに込めてこれからも更新していこうと思っています。そこから読者の方々がなんらかのものを感じとってもらえたらうれしいな、と思います。僕の文章を読んで、なんらかのものを感じた人などはコメントしていただけるとうれしいです。
なんだか文章の流れがよくないなー、とは思いますが、以上です。