todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 ネットの功罪〜広い視野、狭い視野〜

僕はネットサーフィンで個人ブログを訪ねるのが好きです。様々な世界に住んでいる人たちの生活やら思考やらを垣間見ることができるところが好きです。音大の人やら、同じ東大の法学部生やら、30歳を越えてらっしゃる社会人の方とか、日常生活では接することが出来ない人の、生の意見なりを聞けたり交流できたりするのはとても有意義だと感じます。
ネットサーフィンをしていると、本当に世界にはいろんな人がいるなー、とびっくりし、圧倒される部分もあるわけですが、仮に僕よりもずっと若い、小学生やら中学生やらが同じようなことをしていたら、あまりの情報の多さ、世界の広さに圧倒されて、自分を見失ってしまう可能性もあるのではないか、と思います。
僕が小学生の頃、そして中学生の頃は、活動範囲がとても限られていて、その狭い世界の中で懸命に生きてきたわけです。今から考えると視野が狭い、とは思いますが、その視野の狭さは決して負の影響のみを与えてきたのではないと思っています。視野を広く持ちすぎて、世界の広さに圧倒されてしまうと、自分がとてもちっぽけなものに思えてきて、地に足をつけていろんな物事にコツコツ取り組む、ということができなくなってしまうかもしれません。勉強に関しても、こんな馬鹿げたことやってられるか、と思うかもしれません。くだらない勉強があることは事実だから、今の考えには一理あるわけですが、何かに一生懸命になることをバカらしく思ってしまったしたら、それは不幸なことです。
ネット上にはすごい人がたくさんいて、でも自分は何もとりえがない。ちょっとやそっと何かやったところで、到底彼らにはかなわない。じゃあ自分はどうすればいいんだ?みたいな考えは、特に思春期の時期には起こりがちなので注意した方がいいのではないかと思うのです。だから、視野をある程度絞っておくことは重要なことなのではないか、と思います。その人の精神的な発達に合わせて視野を広げていくことが大切だと思います。
前述したように、インターネットには良い点もたくさんあります。変にハマり込みすぎずに、自分が必要としているものは何か、ということを意識しつつ、主体的に利用していくことを考えれば、これほど素晴らしいものはないと思います。僕自身、インターネットの素晴らしさに日々感動しています。
自分のできること、やりたいことを、周りに惑わされすぎずに、着実にこなしていくことの重要性を見失わないようにしたいものです。