todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 重かった。。

さっき学科の貸与ノーパソでネットしてたら、なぜかはてなダイアリーにつながりませんでした(ケーブルは同じの使ってるのに)。いつものデスクトップのパソコンで接続しなおしたら、ちゃんと普通につながりました。なんだったんでしょうか。。
なんで貸与ノーパソを使っていたかというと、久々にJavaでプログラムを作ろうと思ったら、きちんと作動しなくなっていたからです。たぶん環境変数CLASSPATHのところに問題があると思うのですが、残念ながらどうすればいいのかわからないので、面倒だしとりあえず貸与ノーパソでプログラミングを組むことにしました。
ここ最近、探索や学習のアルゴリズムに興味を持たせるようなネタにいくつも出会っているのです。まずはこの前紹介した20Q。質問からどのようにして単語を推測しているのだろうか、どのように問いかける質問を選んでいるのだろうか、というところにすごく興味を持ちました。
もう1つが、昨日ハマッていたWWDQという似非ドラクエゲーム。このゲームの興味深さのポイントは次の2つにあります。

  • 確率の要素が入ってこない(偶然性がない)
  • クリア時のステータス(状態)がポイント換算され、それが最終スコアになる

まず1点目ですが、普通のドラクエでは、フィールドを歩いているときに敵が出現するタイミング、敵の構成、敵の動作、与えるダメージ、受けるダメージ、などは全て確率的に決まり、一意には定まりません。しかしこのゲームでは、敵はフィールド上に始めから見えて止まって居るし、ダメージは単純に(攻撃側の攻撃力)と(守備側の防御力)の差と、一意に計算されます。また、一度倒した敵は復活しません。これらのことが意味することは、「主人公が同じ選択をしたときには、確実に同じことが起きる」ということです。これをゲーム全体で考えれば、「主人公の取った経路によって、クリア時の状態が決まる」ということが言えます。
このことと2点目を考え合わせれば、「クリア時のスコアを最大にするような経路を選びたい」というのが目標になるわけです。これは、グラフ探索に帰着できるはずで(単純ではないが)、それをうまく実装できないかなー♪と思ったわけです。1点目のおかげで、確率モデルを導入する必要がなく、問題が(比較的)シンプルになっていうところが取り組みやすくていいですね。ここで確率モデルを導入することになると、僕が卒論でやったこと(演奏からの音符列推定)に方向性がだいぶ近くなります。
もう1つ刺激を受けたのが、今日駒場の書籍部で「コンピュータ将棋のアルゴリズム―最強アルゴリズムの探求とプログラミング」(ISBN:4777511103)という本を発見したことです。ゲーム戦略アルゴリズムは、以前から非常に興味を持っていたのですが、アルゴリズムを公開しているテキストがあることは、非常に頼りになることだと思います。将棋の場合、同じ手を指せば同じ状態になる、という点では上のゲームと同じですが、一方の対局者の視点から見ると、自分の手に対して相手が一意の手を指してくるわけではないので、その点が全く異なります。相手の手に対して確率モデルを用いるべきか、用いるとしたらどのようなモデルか、というところにも検討の余地がある(ここに制作者のスタイルが表れる)ところが難しく面白いところです。全探索ができない(計算時間が膨大になるため)ところもこの問題の大きなポイントになります。
コンピュータ将棋については、将棋プログラム開発者らのコメントが載っている、以下のページが非常に参考になります。もっと深いコンピュータ将棋関連の話はまた今度別枠で書きたいです。

ところで今日は、教職科目3限をブッチしてしまいまして、駒場の5限のみに出てきました。「生活指導論」という授業。この講義の先生がちょっと変わった人でして。

  • 毎回出席レポートを取る(6点×10回+おまけ1回分6点)
  • 授業中の質問に対し「正しい」発言をすると3点。1講義につき2回まで。
  • 出席レポート提出後の退出は認めない
  • 3回目から座席を固定

これらが本授業のルールとして定められています。受講者が100人いる大教室での講義とは思えないですよね。そして、注目すべきは話し方です。なんか発言が刺々しくて、かなり粘着質の気を感じさせるタイプです。たとえば、出席レポート提出後に教室を出て行ってしまった人がいて、その人を呼び止めようと声をかけたけど無視されてそのまま出て行ってしまったことに対し、「座席が決まってないうちにあれをやられるとどうしようもないんだよね、追っかけることもできないし」から始まってうだうだと愚痴(というと大げさだけど)を聞かされました。また、「君たちは出席レポートとかどうせ適当に見てるんだろう、と思っているんだろうけれど、私はこういうところは細かく見てるんですよ」と自ら粘着質宣言するもんだから、思わず苦笑してしまいました。
いま、ちょうどいい言葉を思いつきました。要するに、説教臭いんですよね。何か発言するたびに、その根拠・背景・教訓的な話が付されてくるんです。そこは普通省略するだろう、というところもあまりに丁寧に話すものだから、ちょっと聞き苦しいんですよね。
でもたぶん、あの口調で話されるからこそ、ちょっと不快感を感じるのだと思います。雰囲気からしてちょっと変なんですよねぇ。いい悪いかは別として、「変人」であることは確かだと思います。
そうそう、今日の出席レポートのテーマは「この講義を取る理由について」でした。僕の書いた文章は、要約するとこんな感じです。

教職に必要な単位だから。教員採用試験に受かったから、ぜひ今学期中に取らなければいけない。今までの経験から、講義には特別期待していない。今後の中身次第。

結構強い主張を書いちゃいました(笑) まぁ率直な気持ちなんですけどね。来週以降、具体的な内容に入って、どのようになるのかがちょっと楽しみです(あれ、これ期待してるってことかな)。
うーん、長くなりました、今日の日記は。