todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 宝くじと保険は似たようなもの

昨年、研究室の先輩が、保険は宝くじみたいなものだから入らない、というようなことを言っていましたが、その真意が最近になってようやくわかるようになりました。ここでいう宝くじを、ギャンブルと言い換えてもほとんど同じなので、以降そのように解釈してください。
宝くじと保険の共通点は次のようなものです。

  • 多数の人から広く浅く金を集め、少数の人に多額の金を与え、その差額により利益を得る

このようなシステムは、胴元(と呼ぶことにします)にとっても、そして参加者(と呼ぶことにします)にとっても、非常に魅力的なものになっています。というのも、胴元にとっては、非常に効率的にしかもリスクも少なく多大な利益を得ることができるし、参加者にとっては、参加料に比して得られる最大利益が極端に大きいため、「夢を買う」(保険の場合は「リスクを軽減する」)という意味での利益(満足度)がとても大きく、金銭的な期待利益(これは100%マイナス)が大きな問題にならないからです。つまり、このようなシステムは、需要側と供給側の利害が一致するような(一致しやすい)、普遍的なシステムになっています。だからこそ、ギャンブルやそれに類する事柄は、時代・国を問わず活発に行われているのでしょう。賭博法によって制限しなければならないということは、逆説的に、それ程までにギャンブルが魅力的であることを示しています。
そもそも、「供給側と需要側の利害が一致して取引が成立する」ということは人間の普遍的な原理であり、それを社会のシステムに取り入れたものが市場主義なわけです。そういう意味では、上に挙げた性質を備えたシステムは、市場主義の申し子と言ってもよいかもしれません。市場主義、そして人間の普遍的な原理にうまく適合している、だからこそ莫大な利益を得ることができるわけです。保険会社に勤める人の給料が高いのは、そうしたことから来るのでしょう。
一方、宝くじと保険の違いは次のようなものです。

  • 多額の金を与えるシステムが、宝くじはランダムに与えるのに対し、保険では損害を被った人に与える

この点は非常に大きいです。ランダムに与えるということは、そこにほとんど労力がかからないわけで、その分大きな利益が図れるわけです。これはギャンブルでも似たようなもので、勝った人に金を与えればよいわけです。一方、保険の場合は損害を被った人をまず認定しなければなりません。誰がどの程度の損害を負ったのか、これを明確にしないと給付できません。緩く認定してしまえば、支払われる金額は増大し、その補填のために保険料を上げ、加入者は減り、という悪循環に陥ってしまいます。加入者側としては、損害を被ったときにピンポイントで保険金が支払われるので、宝くじとはまた違う意味での利益(金銭的ではない)を得ていることになります。もちろん、そのピンポイントになっている分は、人件費など諸経費がかかるので保険金額にマイナスに反映するわけですが。
以上のことを考えると、保険は宝くじが基づいているシステムの発展系と考えることができるかも知れません。先輩が言っていた、「保険は宝くじのようなもの」というのはあながち間違っていない気がします。ただ、だから加入しない、ということにはならなくて、それは今回書いたことでも多少わかるかもしれませんが、その辺の詳しいことはまた次回書きます。