todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 新年の抱負、の前に昨年の反省(前半)

今更かも知れませんが、新年の抱負について少し書いておきます。よく考えると、普通の学生にとっての基本単位は、4月始まりの年度なので、1月始まりの新年に際して特別な思いを抱きにくいところがあるわけですが(環境的・精神的な区切りにはなりづらい)、伝統的な区切り目であることは確かなので、簡単に今後の抱負について述べていきます。
今年の抱負について考える前に、ちょっと昨年の反省をしておかなければなりません。昨年の反省の上に立って、ようやく今後の展望が見えてくると思うからです。
昨年は、色々な意味で転換期でした。卒論の段階で、院に進学することのモチベーションがだいぶ下がってきてしまい、その流れの中で留年。この留年に関しては、卒論を終えておきながら、不注意によりこのような事態になってしまったという意味で、客観的にみれば単純にもったいない出来事にはなるのですが、そこには自分の心の持ちようが積極的に関わっているわけで、そういう意味では必然的なことだったのかもしれません。仮にここをうまく乗り切っていたとしても、いずれどこかで綻びを見せたのではないか、という思いもかなり強くあるし、そういう意味では早期に問題が顕になってよかったと見るべきかもしれません。だから、この出来事に関しては、現在はそこまで悲観的に捉えていません。もちろん、未だに感情的なわだかまりは払拭できていないことは確かだし、それは日記にも書いてあるとおりです。
さて、とは言ってもやはり当時の自分にとって、留年は不測の事態であり、想定外な出来事であることに違いなかったので、当初はどう動いたらいいのか非常に戸惑いました。とりあえず、ここで1年を余分に過ごして(無駄という意味ではなくて、単純に普通より1年多いという意味)、さらに2年を院で過ごすことは、よっぽどなモチベーションがない限り(自分の望む人生に対して)遠回りだと思えたので、就職(活動)という方向性は見えていました(ここには金銭的理由も関わります)。しかし、就活のことを今まで全くと言っていい程考えていなかった自分にとって、世間では就活も山場を迎えている3月から動き出すことは容易ではありません。それに、ここで焦って就活に乗り出し、世の潮流に翻弄されて自分の内面をないがしろにすることは、全く望むところではありませんでした。なので、焦らずに自分の内面を見つめ、本当にやりたいこと、望む人生について考えることにしました。今思うと、これは就職活動でいうところの自己分析であって、別に誰に言われることなく、自然にこのような思考になったのですね。要するに、時間に余裕はなかったけれど、自己分析をすっ飛ばすことはしなかった、ということです。とはいえ、就職説明会には一度も参加しなかったし、(就活における)自己分析系の本も全く買っていません。自分が今までに書いてきたブログを読み返したり、雑記帳を読み返したりそこに書き記したり、自分の価値観に影響を与えた本を読み返したり、テフ君に話を聞いてもらったりすることがメインだったように思います。
長くなったので、続きはまた後で。