todojunの真理を追究する日々

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 教育心理学1リポート

教育心理学のリポートを載せました。少し長いですが、興味のある人は読んでみてください。

『児童期、青年期において社会的認知(社会性の発達、対人関係(親・仲間))の拡がり、自己意識などがどのように変化するかをまとめよ。』


発達段階の区分は、小宮山栄一が提唱したものに従うことにする。つまり、児童期は小学校年代であり、青年期は中学・高校・大学初期年代である。


児童期の前段階である幼児期においては、自我が目覚めることで、親の介入に反発することが多くなる(第一次反抗期)。また、高い自己中心性のために、遊び仲間といざこざを起こすことも多い。このことは、単純にマイナスに捉えられることではなく、社会性を身に付ける上でも大切な事柄である。


児童期に入ると、家族内の濃厚な関係から、同年代の仲間との交流へと興味・関心が移っていく。小学校に入学した当初は、学級リーダーである教師と依存的な関係を結ぼうとするが、次第に子ども同士で自立的に遊ぶようになる。
児童期の中盤から後半にかけては、ギャング・エイジとも呼ばれ、強い結束力を持った同性・同年代の数名の集団を作って行動するようになる。仲間との関係の中で、心理的な強い結びつきを体験し、帰属意識を高め、その心地よさを知る。また、この集団は特に大人たちに対して挑戦的・反抗的・排他的であり、そのことが逆に結束力を高めている。仲間内にしかわからない、秘密の場所や暗黙のルールを共有することで、親世代や社会からの精神的な自立を図ろうと試みている、と捉えることもできる。このような集団内での生活を通して、他者と自己を比較し、自己を対象化して捉える目も出てくる。この点、高い自己中心性を示していた幼児期とは対照的である。仲間集団との関わりの中では、自らの主張を通すことに懸命になるだけでなく、相手の意向を聞き入れることも要請される。そういった意味で、このような仲間とのつながりは、対人交渉能力やバランス感覚を養っていく上で非常に大切な役割を担っていると考えることができる。
自らを客観的な目で眺められるようになるということは、他者の目を気にするということでもある。そのため、周囲の評価や期待に敏感になり、マイナスの評価に必要以上に大きく傷付いてしまったり、期待を一身に背負って疲れきってしまったりすることもある。友達との信頼関係の度合いが、自己評価や自己肯定に影響していることを示すデータが存在することからも、適切な人間関係の構築が、健全な成長に向けて重要であることがわかる。
また、大人たちからの自立を試みているとはいえ、学校生活、特に担任の教師から受ける影響は大きい。例えば、「過支配型」の教師の場合、児童は依存的・服従的になりやすく、「矛盾不一致型」の教師の場合、情緒不安・反社会傾向を招いたりすることがある。
近年では、発育の早期化が指摘されており、親世代に比べて1、2年成長が早まっている、というデータがある。このため、性的成熟も早まっており、青年期における性の問題が児童期後半に前倒しになって圧し掛かってきている。この点については、後に述べる青年期の問題のところを参照してもらいたい。


青年期に入ると、親からの自立をさらに図ろうとする一方、自らの未熟さから未だに親に依存しなければならないという現実との間に葛藤が生じる。これに加えて、第二次性徴などの心身の急激な変化に伴い、心理的に不安定な状態に陥ることが多いこともあり、親への反発心が強くなる(第二反抗期)。自分が精神的に少しずつ成熟してきているのにも関わらず、親が相変わらず子ども扱いをしてくることに対して苛立ったりするなど、親とのすれ違いも目立つようになる。
葛藤も、先に述べたものだけでなく、進路や恋愛に関してなど様々なレベルで生じやすい時期であり、そのため欲求不満も抱えやすい。男子においては、攻撃的衝動や性的欲求が解消されずに不満を抱えてしまうことが多いが、これらは芸術的活動やスポーツ活動を行うという形で、昇華というタイプの適応機制として解消されることが多い。このように、欲求不満は適切な量やタイミングであれば、新たな価値に向けての原動力となることもあり、単純に取り除けばいいものであるとは言えない。また、欲求不満を抱える状況にどう対処していくべきか、について学ぶよい機会にもなり得るし、欲求不満耐性をつける一助にもなり得ると考えることもできる。
精神面では、「自分とは一体なんなのか」「本当に自分は自分なのか」というような、自己の存在に対する疑問を抱えるようになる。これは、主体としての自分(主我)と見つめる対象としての自分(客我)が分かれ出して来ていることを意味し、精神の健全な発達の表れである。このような疑問を抱えながら他者と接する中で、今まで持っていた自己像や価値観を破壊して構築し直すことを繰り返し、自己肯定感の獲得や自我同一性の確立を目指すところが青年期の特徴である。このような困難な課題を乗り越えるために、社会の側から様々な責任や義務を免除されていると捉えることもでき、このことから、この期間をモラトリアムと呼ぶこともある。
悩みを多く抱えるこの時期にあっては、友人との付き合いにおいても、児童期のような単なる遊び仲間としてだけではなく、お互いの内面を吐露できるような、心理的に深い関係を構築できる親友を求めるようになる。付き合い方は、年代や性別により幾つかのタイプに分かれるが、概して、年代を経るにつれて友人に積極的に関与していく傾向にある。このことは、歳を重ねるにつれて自己肯定感や自我同一性を身に付けていくことと無縁ではないであろう。
また、第二次性徴に伴い、異性への関心・性的欲求も急速に高まる。特に、男子にその傾向が強いが、性教育が未発達の段階にあるために、性の知識の多くは、商品化された扇動的な情報により手に入れることになる。そのため、偏っていたり正確でなかったりする性知識を持ってしまう危険性も少なくない。
また、異性への恋愛感情の高まりから、男女間の交際も多く見られるようになる。しかし、性に関する男女間のすれ違いから、理解しあえずお互いを傷つけあってしまうことも少なくない。特に、恋愛感情に覆いかぶさるほど大きな男子の性的欲求が、性行為と切り離した純愛を求める女子との間で摩擦を起こしてしまうことが多い。このような行き違いを経験する中で、恋愛対象としての異性との付き合い方を学んでいくことになる。


以上に述べたことは、児童期・青年期における平均的な児童や生徒の像である。したがって、実際には、各個人の遺伝的素質や境遇によって、幅広い多様性が存在することを指摘しておかなければならない。これは、発達スピードの違いであるというだけでなく、人格における違いということでもある。人格の違いは、遺伝的要因や環境的要因によりもたらされるが、例えば、一人っ子には依存的傾向や社会性不足の傾向が見られるということなどがある。このような人格の影響が、発達における個性として表れてくることはなんら不思議なことではないであろう。


以上、児童期・青年期における社会的認知の拡がりや自己意識がどのように変化するかを簡単に概観してみた。