todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 理想の将来

理想の将来については、多くの人がある程度漠然としたものは描いていると思いますが、理想の将来の自分についてよく考えるのか、理想の将来の社会について考えるのかは、人によってその比重は結構違うのではないかと思います。もちろん、自分は社会の中で生きているのですから、将来の自分について考えることと、将来の社会について考えることは全く相反していることではないですし、むしろ密接につながっていると言ってもいいかもしれません。
僕はどちらかというと、理想の社会の方に大きな価値を置いているかも知れません。ここでいう社会とは漠然としたものではなく、一人一人の顔が見えるような具体的な社会です。簡単に言えば、社会に暮らす人々が豊かに幸せに暮らせることを願っています。それを身近なところから少しずつ実現していけたらな、と思っています。そのために自分には何ができるか、ということはかなり前からずっと考えてきたし、できるだけ行動には移してきたつもりです(まだまだ全然足りないですが)。
僕が一番喜びを感じるのは、誰かの役に立ったり、誰かの幸せに貢献できたりした時です。そして、それが自分の好きなことだったり、得意なことだったりで実現できると本当にうれしいですね。僕が心から尊敬する人達は、みんなこうした理想を持ってそれを行動に移し、少なからずそれを実現している人達です。大好きなミュージシャンの伊藤サチコさんも、当然その中の1人です。僕もそういう人達を目標にして後に続いていきたいと思っています(もちろん、実現する方法は違うけど)。


僕が最近思うのは、やっぱり社会の人々の幸福を願うためには、自分が幸福にならなければいけないということです。僕が1人で悶々としていた1年前くらいまでは、理想としては上に書いたようなことを思ってはいたのですが、心の底ではどうしても自分が社会から見放されて報われていないという思いを持ってしまっていて、一歩間違えばダークな心に染まってしまいそうなところだったような気がします。感謝の気持ちを持つこともかなり忘れていた部分があったと思います。
9ヶ月くらい前に、本当に奇跡的な出会いがあって、そこからどんどん物事が良い方向に進んでいると感じています。そのおかげで、人間としての純粋な心もだいぶ取り戻してきたのではないかと思います。他人の幸福も考えられるような余裕もできているような気がします。自分のように辛い環境に置かれている人達を救い出してあげたい、幸福の輪を広げていきたい、純粋にそう思います。


ここ数年、自分が試練と感じてきたことは、確実に将来へとつながる実になっていると、最近特に感じます。「若い時の苦労は買ってでもしろ」というのは、こういうことなのか、と実感として掴めてきているような気がします。あとは、今まで秘めてきたもの、蓄えてきたものを一気に開放していくことだと思っています。鬱屈したエネルギーは、適切に有効に使って、開放させるべきですよね!