todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 存在自体がうれしい

存在自体がうれしい、という人がいます。同時代に生きている、その事実だけでうれしい、という人がいます。そんな人たちは魅力に溢れていて、尊敬もすれば、異性だったら恋心を抱いたりもします。そういう人がたくさんいると、世界が美しくなります。
もし、自分が誰かにとってそういう存在になれたのだとしたら、これほどうれしいことはないです。人々の幸せに貢献できる、というのはとても幸せなことです。
そのための努力は惜しみません。他のところでの妥協はしても、素晴らしい人間になるための労力は厭いません。では素晴らしい人間になるためにどうするか。素晴らしい本に接し吸収し、素晴らしい人たちに出会い刺激を受け、日々思索を続けることが基本であり、1番大事にすべきところだと思っています。
そうした地道で堅実な、絶え間ざる努力の積み重ねの末に、なんらかの境地に達することができるものだと信じています(なんとなく感覚的にも実感してきた)。その過程にさまざまな目標を立てることはあっても、本質的な目標はそのなんらかの境地に達することです。もちろん、その境地がどんなものかは辿り付いてみないとわからないだろうし、究極的には辿り「着く」ことはないでしょう。ですが、少なくともその方向へ向かっていることは確かです。
ここ1年くらい、自分の中での「質的な変容」をとみに感じるようになってきているので、方向性としては間違ってないと考えているし、変な方向に踏み出してしまわないように気をつけています。
向かっている方向に違いはあっても、イチロー選手なんかそういう意味ではものすごく参考になります。そういえば、求道者であり人格者でありたい、というのがここ数年の僕の夢(目標?)でした。
話はすこしそれましたが、誰かにとって存在自体がうれしいと思われるような人になりたいです。