todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 10進法?12進法?6進法?18進法?16進法?8進法?4進法?

変なタイトルになってしまいましたが、ちょっと n 進法について考えてみました。ここでは、別に n 進法の一般論について話そうというのではなく、次のようなテーマの下に話を展開していこうと思います。

  • 10進法を変更するとして、現代社会においてもっとも有用なのは何進法か?

現代社会において」というのが少し曖昧ですが、わかりやすく言えば、社会のより多くの構成員に対してプラスになるのは何進法を(制度として)採用したときか、ということです。なので、一部の数学者の嗜好や、コンピュータへの有益性のみで判断されるのではなく、九九に対応するものを義務教育で教える(全ての国民が身につけなければならない)ということなども考慮しなければなりません。
また、現在10進法を採用している、ということも考慮に入れます。つまり、10進法を n 進法に制度として変更するリスクも考えるということです。言いかえれば、変更した最終段階だけでなく、移行期についても考えるということです。
さて、前置きはこの辺にして本題に入りたいと思いますが、実はタイトルに自分の中での解答を書いていたのです(意味不明のタイトルの理由はここにあります)。10進法を除いた順番が、より望ましい順番になっています。つまり、12進法>6進法>18進法>16進法>8進法>4進法で、結論としては、12進法が一番望ましい、ということです(4進法より下は有用性が非常に低いので省略)。それでは、12進法が一番望ましいと判断した(そして、他がこのような順番になった)理由を、順を追って説明しましょう。

記法

n 進法における値 x は、x[n]と表記することにします。つまり、10進法での8を2進法で表したときの表記は、1000[2]です。ただし、10進法のときの[10]は省略します。また累乗は、a の n 乗を a^n のように表現します。
また、10進法以上のとき、数字の順序は、0123456789ABC…、のように考えることにします。

n が2で割り切れるか否か(1/2が有限小数で表せるか)

n が奇数だと、10[n] = n 、や、100[n] = n^2 、などの基本となる数が2で割り切れないので非常に不便です。割り切れないどころか、有限小数で表すことすらできないので、もはや問題外と言ってしまってもよいでしょう。奇数進法は除外します。
ちなみに、0.5 = 0.MMMM…[2M+1] = 0.M[2M]、です。

n が大きすぎない、または小さすぎないか

n があまりに大きすぎると、九九に対応するものを覚えるのが大変になります。n 進法であれば、単純に考えれば(n - 1)^2コの一桁同士のかけ算を覚えなければならないので、九九の暗記の労力はほぼ n の2乗のオーダであると言えます。よって、n が20を超えるものについては実用的ではないと考えて差し支えないでしょう。ここで何で20が出てきたのかというと、インドでは19×19(もしくは20×20)くらいまでは九九のように覚えるらしいからです(どの程度しっかり覚えるかは不明)
また逆に、n があまりに小さすぎると、九九の暗記の労力は非常に小さくなる代わりに、桁数が多くなって計算が煩雑になったり、読み上げたり記憶するのが大変になるでしょう。2は言わずもがな、4で限界ギリギリと言ったところでしょうか。

n が3で割り切れるか否か(1/3が有限小数で表せるか)

1/3 = 0.3333…、で10進法では1/3が有限小数で表せなくて不便です。10進法を変更するのであれば、この欠点をなくさないと、変更する意味がほとんどなくなってしまいます。この時点で、最適な n の候補は、6, 12, 18に絞られます。
ちなみに、 1/3 = 0.MMMM…[3M+1] = 0.M(2M+1)M(2M+1)…[3M+2] = 0.M[3M]、です。

6進法と12進法の利点と欠点

6進法、12進法、18進法の中から最適なものを選ぶのはそう簡単なことではありません。いずれも一長一短があるからです。ただ、この中でどれか一つ削るということになったら、まず18進法を削るのではないかと思います。なぜなら、数が大きくなることで、6→12では4で割り切れるようになったのに、12→18では、また4では割り切れなくなってしまっているからです(6で割り切れるようになっているものの、それより小さい素数の5では割り切れないのであまり意味がない)。
残るは、6進法と12進法です。それぞれの長所と欠点を列挙してみましょう。

  • 6進法
    • (利点)
      • 数の種類が非常に少ないので、九九に対応するもの(六六)を覚えるのが圧倒的に楽
      • 1番目、2番目に小さい素数(2と3)を因数に持つ最小の数なので、効率的(3番目に小さい素数5も因数に持たせると30にまで跳ね上がってしまう)
    • (欠点)
      • 桁数がかなり大きくなってしまう。例えば、1時間は140[6]分に、360°は1400[6]°になってしまうし、電話番号の桁数も2桁程度増えてしまう
  • 12進法
    • (利点)
      • 現在の10進法に数が比較的近く、また既にダースなどで12進法的な考え方は定着しているので、馴染みやすい
      • 10[12]が4で割り切れる
    • (欠点)
      • 九九に対応するものを覚える労力が若干増える

実は、ここに挙げた両者の欠点は、どちらも大した物ではありません。6進法の方の問題は、例えば周角(1周の角度)を120°(=320[6]°)と定義し直すなど、単位をうまく調整して挙げることで桁数を下げることができます。360°を120°に変えてしまうと刻みが粗くなって良くないように思えますが、実際一般の人にとって必要になるのは、60°(→20°= 32[6]°)刻みと45°(→15°= 23[6]°)刻みくらいなものなので特に問題にはならないでしょう(正確性が要求されるところでは小数点以下も取ればよい)。実際、1インチ = 2.54cm、でインチはセンチメートルに比べて2.54倍もすき間が粗いですが、テレビモニタなどインチを利用している製品でそれが問題になっているという話は幸いにして聞きません。結局、人間は単位に縛られて数字(や物事)を考えているということでしょう。
また、電話番号に関しても、現在ではそもそも相手の電話番号を覚えている必要性が非常に低くなったので、いざという時のために自分の(携帯)電話番号だけ覚えておけば良く、たいした負担の増大にはならないでしょう。
ちなみに、2桁程度増加の根拠ですが、まず、1296 = 10000[6]、から10進法→6進法で桁数はおよそ5/4倍弱になると言えます。現在、携帯電話番号は11桁で、うち1,3番目の0は飾りみたいなものなので、残りの9桁の方だけ増加すると考えて、(9+2)桁→(11+2)桁程度になると予想できます。一般電話も同様に、(9+1)桁→(11+1)桁で、ともに2桁程度の増加と予想できるわけです。
一方、12進数の方の欠点、九九に対応するものの労力の増加ですが、12が2,3,4で割り切れるおかげで、「九九」自体が覚えやすくなるはずなので、本当に若干程度の増加になるでしょう。この辺は、実際に実行してみなければなかなかわかりにくいところではありますが。
ちなみに、6は4で割り切れないので10[6]は4で割り切れませんが2で割り切れるので、100[6]は4で割り切れます。これはつまり、1/4 = 0.13[6]、となり1/4を有限小数で表すことができる、ということでもあります。つまり、1/2,1/3,1/4,1/6が有限小数で表せると言う点は、6進法においても、12進法においても同様です。

12進法を選ぶ決め手

前節で6進法と12進法の利点と欠点をそれぞれ挙げましたが、どちらもかなり魅力的な面を持っていて捨てがたいです。ここから先は、個人の好みや、何を重視するかで判断するしかなさそうです。実は、この文章を書き始めた当初は、6進法をベストにしていたくらいなので、本当に際どい争いでした。今でも、個人的には6進法の方により興味があります。では、なんで12進法を選ぶことにしたかと言うと、その決め手は次の点です。

  • 12進法の方が、数字を扱う感覚をより身につけやすくなる

つまり、より多くの「九九」を若いうちから身につけた方が、数字を扱う能力や感覚が養成されるのではないか、ということです。「九九」を沢山覚えなければいけないことは、単純にマイナスになるだけでなく、文化としてはプラスに働く可能性も大きくある、ということろに注目しました。
これは、言語を考えてみればわかりやすいと思います。例えば、日本語には、ひらがなとカタカナがあるので、仮名を覚える際には、一方だけの場合に比べて2倍の数を身につけなければなりません。では、2倍の数の仮名を記憶することで、2倍以上の言語表現が可能になるでしょうか。恐らくそんなことはないでしょう。カタカナを使う機会は、フリガナをつけるときと外来語をそのまま表記するときくらいなものですが、どちらもひらがなで代用できます(外来語の方は、「」付きのひらがなを使えばよい)。つまり、単純に(短期的な)効率を追求すれば、カタカナ(もしくはひらがな)を無理して学ぶ必要もない、ということになります。
それでは、カタカナを義務教育で学ぶことは、非効率で価値が低いことなのでしょうか。恐らく多くの日本人はこれにはNoと言うのではないでしょうか。
多くの人は、カタカナを学ぶことは大切だ、カタカナを学んで良かった、と思っているでしょう(普段は意識しないけど)。これは、単に言葉の表記方法が増えたからそう感じるというよりは、カタカナという新しい言語感覚を身につけることができたというところから来る感想だと思います。ひらがなとカタカナを同時に学ぶことで、それぞれの言語感覚を養うことができ、それはそのままモノを捉えるときの感性につながる。これは、まさに日本の(言語)文化の土壌といったもので、仮名の一方を捨てることは日本文化の喪失につながる、というようなことを無意識にせよ思っている人は多いのではないでしょうか。
少し長くなりましたが、つまり、文化には特に効率では捉えられない側面が存在する。そして、数字の文化を考えたときに、数字の種類を減らしてしまうことは、数字文化を衰退させることにつながる危険性がある、ということです。先ほど感性という言葉を出しましたが、ある程度若いうちに「量」に触れておかないと、なかなか感性というのは養われないのではないかと思います。12進法のほうが6進法より望ましいのではないか、と考えたのこのような点からです。
長くなってしまいました。今回の主張に対して、みなさんはどう思いましたか?ご意見、ご感想など、どしどし(?)コメントしてください。次回は、今回の話題について考えているときに派生して考えた事柄(横道)について少し書いてみようと思います。