todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 ブログとSNS

mixiに書いていた文章の転載です(書いたのは3月23日)。

  • mixiはコメントしやすい

mixiのようなSNSとブログの大きな違いに、他者一般に向けた開放性が挙げられます。当然ながら、(一般的には)グローバルにつながったブログの方が、開放性は高いということになります。この開放性の高さの違いは、ユーザーにどのような影響を与えるでしょうか。

まず、開放度が低い方が、深く狭いコミュニティーを作り出しやすいことは想像が付くでしょう。そして、コメントのしやすさ、という要素もそれに拍車をかけるものだと思います。

ブログというのは、記事の書き手もグローバルな世界に開放されると同時に、コメントを書く人も多くの場合、グローバルな世界につながることになります。当たり前ですが、他者一般の目を気にしながらプライベートな内容は書き込みづらいし、プライベートな内容でなかったとしても、やはり書き込むには多少の勇気は必要なものだと思います。

その点、SNSではその閉鎖性から、比較的気軽にコメントが書き込めるようになっています。自分が信頼できる人しかみていない、ということは、書き込む人にとって思いのほか重要なことです。

これがタイトルの趣旨です。


これにちょっと付け加えると、閉鎖性という言葉はいささかマイナスのイメージを与えると思いますが、よく考えたら、リアルの生活というのはほとんどが閉鎖性で成り立っているわけです。家族しかり、友人しかり。不特定多数の人に話しかける機会なんてほとんどないわけです。

だから、よりリアルの生活に即したもの、リアルの延長上にあるものがSNSと言ってよいかも知れません。一方、ブログというのは、リアルの社会で不特定多数に向けて発言する機会に恵まれなかった人などに、発信する手段を与えたという意味で画期的だったわけです。誰もが不特定多数の人に向けて発信できるというこの環境においては、リアルの価値観とは別の価値観が生み出されることになります。

そう考えると、ブログは別にリアル社会の延長上にあったわけではなく、むしろリアル社会とは対立の関係にあると言った方がいいかも知れません。リアルの社会で恵まれた環境にいる人や、リアルが充実している人(リア充)はあまりブログを書かない、と言われる所以もそこら辺にありそうです。

mixiとブログというのは、パッと見は大差ないように見えますが、実はそもそもの理念の方向性にかなりの差があることがわかったと思います。そして、リア充さえも取り込んだという意味で、少なくとも現時点ではmixiの方に分があったと言えるでしょう。ブログがこれから巻き返しを図るためには、量ではなく質を、そして民衆からの発信という理念をさらに追求していく必要があるかもしれません。