todojunの真理を追究する日々

日々考えていることなどを徒然と書いていきます。

 光陰矢の如し

無計画に自由気ままに過ごしてたら、あっちゅー間にこんな時期になってしまいました。教育実習、教員採用試験まで2週間切りました。どちらもまだほとんど準備していません。来週からは気持ち切り替えて、計画的に過ごしたいと思います!
さて、ここ最近の生活ですが、前から何回も書いていた、「早寝早起き」は残念ながらまったく達成できていません。圧倒的に遅寝遅起きです。毎日夜中に寝て昼に起きてます。でも、でもですね、なぜだか調子がいいんです。不規則な生活って、たいていストレスが溜まって、体力も落ちて疲れやすくなるんですが、最近はそんなこともなく。なんででしょうか。ちょっと考えられる原因を考えてみますと、

  • はじめから割り切っている(「早く起きなきゃ」というプレッシャーなし)
  • 物事に追われていない(なんかやらなきゃ、とすら思っていない)

が大きいのではないかと思います。
僕の傾向として、いつでもどこでも自分自身を高めていきたい、という思いが強いので、たとえ社会的にやらなきゃいけないことがなくても、自分の中で課題なりを作って実行することが多いです。日常の全ての事柄から「自分を磨く」材料を見つけようとしています。このことには、(自分や他者の)肩書きや社会的地位に捉われず生きてゆきたいという強い思いが根底にあるんだと思います(このことの一つの意味は、自分は自分であって、社会の枠組みによって単純に捉えられる存在ではないということ。もう一つは、社会的地位などに関わらず、本当に魅力的な人はたくさんいて、そういう人たちを見逃さないようにしたい、ということ)。
現代の若者は個人主義になっているとよく言われますが、それは僕自身にも当てはまって、特に以前は社会の重要性などはあまり意識することはありませんでした。新書を読むようになって社会に対する関心は相当高まりましたが、それでも個人が第一という思いに変わりはありません。魅力的な人に接していると、その人の世界というのは、社会よりもずっと複雑で奥が深いのではないか、と感じざるを得ません。そういう人達と接点を持つだけで、感性はびんびんに刺激されるし、自分も魅力的でありたい!という強い思いが生まれます。こういう魅力的な人が増えてくることが社会を活性化(ここでは幸せな人が増えるというようなイメージ)することにつながるのではないか、と思います。
僕の個人主義の原点は、今書いたように、(魅力的な)人の世界は、社会を超える奥深さがある(そしてそれは独自性に満ちている)というところにあるのではないかと思います。どうも現在の状況は、人間が社会に使われている、という気がしないでもないところがちょっと気になっているところではあります。もっと個人が自由に生きれる道はないものか、とか、本当に社会はここまでの労働力(労働者人口×平均労働時間)が必要なのか、ということはかなり頻繁に考えています。
うわー、ちょっとどころではなく、大幅に脱線してしまいました。当初言いたかったのは、「肩書きなどにこだわらず、個人としての中身で生きてゆきたいので、「自分を磨く」という思いがさらに強くなり、それがプレッシャーとなって多少精神を疲弊させてしまっていたかもしれない」ということです。それが、本当に気ままに生きていたことで、多少はよくなったかな、というのが今日の日記の導入部分でした。
久々の日記で、あまり日記らしくないことを長々と書いてしまいましたが以上です。